研究概要

法医学講座について

京都大学の法医学講座は1899年に創設され、日本における法医学分野の先駆的役割を担い現在に至っています。現在当研究室では、DNA多型の解析や鑑定などを法医学へ応用する研究、死因究明や予防医学に繋がるモデル動物を用いた法医病理学的研究を進めています。また、法医実務や臨床医学に密接に結びついた分野も積極的に取り組み、鑑定実務におけるDNA検査の法数学的解釈、乳児突然死や死後画像の臨床医と連携した診断などを行っています。法医学、DNA多型、画像解析、法数学に興味をお持ちの方に参加して頂きたいと思います。 IMG_3106
玉木 敬二

研究内容

DNA多型の法医学応用と法数学的解釈

究極的DNA鑑定である微量混合試料分析法の開発と評価

DNA鑑定は極めて高い個人識別力を有し、犯罪捜査に応用されている。ただし、法医鑑識領域で分析される試料は一般の科学実験とは異なり、質的純度が非常に低い。特に複数のヒト由来のDNAが混合した試料(混合試料)や微量試料は、巧妙化した現代の犯罪捜査において増加している。このような試料では、何人のDNAが混合しているのか、犯人のDNAが現場試料に含まれる確率はどの程度かなどを数学的に評価することが求められるが、わが国ではその煩雑さから微量混合試料の分析が進んでいないのが現状である。
当講座では、わが国における微量混合試料分析法の確立を目指して、模擬試料を用いた実験的考察や統計解析ソフトウェアRを利用した数学的推計、最新の微量混合試料の数学的解釈法(continuous model)に基づいた分析ソフトウェアの作成・検証などを進めている。

図1 アリルのリピート数とスタター比の関係

図1 アリルのリピート数とスタター比の関係

図2 Continuous modelに基づいた微量混合試料の分析ソフトウェア

図2 Continuous modelに基づいた微量混合試料の分析ソフトウェア

  1. Manabe S, Hamano Y, Morimoto C, Kawai C, Fujimoto S, Tamaki K.
    New stutter ratio distribution for DNA mixture interpretation based on a continuous model.
    Leg Med (Tokyo). 2016;19:16-21.
  2. Manabe S, Morimoto C, Hamano Y, Fujimoto S, Tamaki K.
    Development and validation of open-source software for DNA mixture interpretation
    based on a quantitative continuous model.
    PLoS ONE. 2017;12(11): e0188183.
一塩基多型(SNP)を利用した新たな血縁鑑定法の確立

DNA型を利用した親子鑑定や同胞鑑定は、身元不明死体の身元確認において非常に大きな役割を果たしている。血縁鑑定では問題となる人物とその血縁関係が疑われる人物との間に、本当に血縁関係があるかどうかを確率的に評価することが求められる。しかし、マイクロサテライト(STR)を利用した現在のDNA型検査システムでは、真の血縁者同士であっても十分に高い確率が得られない場合がある。特に祖父-孫や従兄弟といった、比較的血縁度の低い関係を証明するのは困難を極める。そこで当講座では、ゲノム上に散在する一塩基多型(SNP)に着目し、DNAマイクロアレイや次世代シーケンスといった最新の技術を駆使した新たな血縁鑑定法の確立を目指している。
その他、分析するSTRローカス数を増やした場合の血縁鑑定の精度評価、アリルの突然変異や連鎖による影響を考慮に入れた血縁鑑定ソフトウェアの開発にも取り組んでいる。

図1 血縁関係毎の染色体共有指標の分布

図1 血縁関係毎の染色体共有指標の分布

図2 同一血縁度の血縁関係における染色体共有領域数の違い

図2 同一血縁度の血縁関係における染色体共有領域数の違い

  1. Morimoto C, Manabe S, Kawaguchi T, Kawai C, Fujimoto S, Hamano Y, Yamada R, Matsuda F, Tamaki K.
    Pairwise kinship analysis by the index of chromosome sharing using high-density single nucleotide polymorphisms.
    PLoS ONE. 2016;11(7): e0160287.
  2. Morimoto C, Manabe S, Fujimoto S, Hamano Y, Tamaki K.
    Discrimination of relationships with the same degree of kinship using chromosomal sharing patterns estimated from high-density SNPs.
    Forensic Sci Int Genet. 2018;33:10-16.

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法科学的フェノタイピング解析

DNAのメチル化率を指標とした年齢推定

科学捜査における年齢推定として、白骨の外観検査や、歯牙のアミノ酸のラセミ化率を測定するといった手法がこれまでとられていた。一方で、近年DNAを用いた年齢推定法が盛んに研究されており、法科学におけるホットトピックの一つとなっている。
当講座では、DNAメチル化率を指標として、より推定精度の高い手法の確立を目指しており、各種メチル化率測定方法の検討や、統計解析ソフトウェアRを利用して機械学習的に推定年齢を算出する方法を検討するなど、科学捜査実務での使用に耐えうる年齢推定法の検討を行っている。本研究では、当講座で行った法医解剖の際に保存された血液を使用している。

図1 血液試料の年齢推定結果

図1 血液試料の年齢推定結果

図2 タバコ付着の唾液試料の年齢推定結果

図2 タバコ付着の唾液試料の年齢推定結果

  1. Hamano Y, Manabe S, Morimoto C, Fujimoto S, Tamaki K.
    Forensic age prediction for saliva samples using methylation-sensitive high resolution melting: exploratory application for cigarette butts.
    Sci Rep. 2017;7:10444.
  2. Hamano Y, Manabe S, Morimoto C, Fujimoto S, Ozeki M, Tamaki K.
    Forensic age prediction for dead or living samples by use of methylation-sensitive high resolution melting.
    Leg Med (Tokyo). 2016;21:5-10.

また当講座では、2020年9月7日より、上記と同様のDNAメチル化率を指標とした年齢推定法の研究を開始し、2021年2月8日からは当講座で行った法医解剖の際に身元確認のため保存された爪を使用し行っている。

研究の情報開示はこちらをご覧ください。

microRNAを用いた体液識別法の開発

法科学鑑定では事件現場に遺された試料の由来を調べるだけでなく、その試料、特に体液が何かを調べる検査が行われる。何の体液かを決定できれば、誰のDNAがどのような経緯で遺されたかを推定するのに役立てられる。例えば、事件現場に遺された試料から血液が検出されれば傷害事件によってDNAが遺されたことが想定され、精液が検出されれば性犯罪によってDNAが遺されたと考えやすい。
当講座では体液識別の指標としてRNAに着目し、特に分子量の小さいmicroRNAを用いた体液識別法の開発を目指している。microRNAは体液ごとに発現が異なり、低分子のため劣化に強いとされている。実際の鑑定で扱われる試料は陳旧化していることが多いが、microRNAを用いることで、従来の検査法では検出が困難な体液を識別できることが期待される。

図1 体液毎の低分子reference RNAの発現量

図1 体液毎の低分子reference RNAの発現量

図2 シミュレーションによる最適なreference RNAの検索

図2 シミュレーションによる最適なreference RNAの検索

  1. Fujimoto S, Manabe S, Morimoto C, Ozeki M, Hamano Y, Tamaki K.
    Optimal small-molecular reference RNA for RT-qPCR-based body fluid identification.
    Forensic Sci Int Genet. 2018;37:135-142.

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予期せぬ乳幼児突然死の病態解明と予防法開発

直前まで元気だった赤ちゃんが、突然亡くなってしまうことがあります。生まれて1年以内に突然亡くなる子は1年におよそ500人で、その年に日本で生まれた赤ちゃんの約2000人に1人に相当します。それまでに原因となりそうな病気のない、あるいは、病気があっても症状がなかった子どもたちですので、解剖をしないとその原因がわからないことが多く、私たち法医学者は解剖を通して病態を解明する役割を担っています。そして、赤ちゃんが突然死してしまわないように早期に予測し予防に繋げる方法を、解剖から学んだ教訓を活かして開発せねばなりません。
赤ちゃんが突然亡くなる原因は、乳幼児突然死症候群・感染症・先天性疾患などの病気や不慮の事故・虐待などの外傷と広い範囲に及びます。また、現代医学をもってしても解明できない原因があることも事実です。そのため、解剖では臨床経過・感染症検査・肉眼及び組織学的病理検査・先天性代謝異常検査・遺伝子検査などを総合して判断する必要があり、私たちの病理学的専門性に加えて医学・医療・福祉・司法等にわたる広い知識と経験が求められます。そこで、私たちは小児科医・放射線診断医・救命救急医・ソーシャルワーカー・司法関係者等の方々と合同で法医解剖となった乳幼児の症例を検討する会を2014年から3ヵ月に1回のペースで定期開催し、多機関・多職種合同で診断を行っています。そして、検討会で得られた知見を活かして症例報告・症例集積研究・疫学的解析することで、乳幼児突然死の病態や臨床的傾向の解明、さらには診断分類法などの開発に繋げています1-5)。
また、乳児突然死を予防する方法の開発に関しましては、数理統計学的手法を用いた発症予測モデルを構築しています。乳児の突然死は様々な要因が連鎖することで発症すると考えられます。そこで、ある子どもにはどの要因がどの程度突然死の発症に影響しているかを予測し、その要因を養育者の方に早期に伝えることができるようなモデルの開発を目指しています。
私たちは、このような研究・活動を通して赤ちゃんの突然の死に寄り添う方々とのネットワークが広がることを願っています。

疫学研究の情報開示はこちらをご覧ください。

  1. Kotani H, Ishida T, Miyao M, Manabe S, Kawai C, Abiru H, Omae T, Osamura T, Tamaki K.
    Ectopic cervical thymus: A clinicopathological study of consecutive, unselected infant autopsies.
    Int J Pediatr Otorhinolaryngol. 2014;78(11):1917-1922.
  2. 小谷泰一
    乳幼児突然死症候群の病態:トリプルリスクモデル.
    日本医事新報. 2016;4794:50.
  3. 小谷泰一
    乳幼児突然死症候群の発症には覚醒反応不全が関与する.
    日本医事新報. 2016;4802:57.
  4. 小谷泰一
    乳幼児突然死の死亡原因究明に向けての多職種連携のあり方 小児救急臨床と法医学の連携 in 京都 ―乳幼児突然死予防に資する法医学を目指して―.
    第24回日本SIDS・乳幼児突然死予防学会, 講演要旨集. 2018; p26, 京都.
  5. Kotani H, Miyao M, Jemail L, Hamayasu H, Tamaki K.
    A promising approach to improve statistical discrepancies in categorizing sudden unexpected death in infancy between Japan and other countries.
    2018 International Conference on Stillbirth, SIDS and Baby Survival, Abstracts. 2018; p268, Glasgow, UK.

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急死事例の法病理学的解析

法医解剖症例の多くは急死です。急死の科学的解析は、翻って疾患の発症や死を予防する方法の開発に還元されます。
貴重な1例1例を詳細に解析し報告することで、広く一般に警鐘を鳴らし1)2)、類似した症例に共通する変化を明らかにすることで新たな症例の発症予防に貢献できます3)4)。そして、その変化を実験動物で再現し、分子生物学レベルの病態を解明すれば治療法の開発にも繋がります5)6)。
1例1例の解析は主に病理学的手法を用いて行います。法医解剖では疾患による死亡例が意外に多いのですが、当教室には病理専門医も所属しており肉眼的な観察や顕微鏡を用いた組織検査で、外傷だけでなく疾病も詳細に検索します。例えば、虐待や事故を当初疑われた乳児例が、解剖により先天的な疾患や奇形と判明することがあり、ご両親から解剖後に感謝の言葉を頂いたりします。そして、このような症例を論文にして報告することで一人の死を次の生に繋げています1)2)。
当教室では年間100例前後の解剖を行っています。多くの同じような症例を検討していると、時にある病態に共通した所見に気付かされます。例えば、急激に死に至った症例に共通する組織所見や、これまでは珍しいと考えられていた先天的な奇形が実は一般的で病的意義があまりないこと等を明らかにしてきました3)4)。
そして、大学院生は多くの症例を通じて思い付いた病態や治療法のアイデアを動物実験で検証しています。多くの疾患や外傷で血管内に流出してしまうヒストンという蛋白質が全身の臓器に障害をもたらし、ヘパリンという既に臨床利用されている比較的安価な薬がこの障害を抑制できることを明らかにしました5)。また、ヒトの急性腎障害の組織所見が比較的軽微である理由の1つを慢性肝疾患モデルマウスで示しました6)。
当教室には死因究明と予防医学にひた向きな大学院生が集っています。そして、活気に満ちた議論を繰り広げることで互いに研鑽し、高め合っています。俯瞰的に医学・医療を捉える法医学に興味ある若き学生・研究者をお待ちしています。

文献1)より

文献1)より

文献2)より

文献2)より

文献3)より

文献3)より

文献4)より

文献4)より

文献5)より

文献5)より

文献6)より

文献6)より

  1. Miyao M, Abiru H, Ozeki M, Kotani H, Tsuruyama T, Kobayashi N, Omae T, Osamura T, Tamaki K.
    Subdural hemorrhage: A unique case involving secondary vitamin K deficiency bleeding due to biliary atresia.
    Forensic Sci Int. 2012;221(1-3):e25-9.
  2. Ishida T, Kotani H, Miyao M, Abiru H, Kawai C, Osamura T, Tamaki K.
    Ectopic cervical thymus associated with infant death: 2 case reports and literature review.
    Int J Pediatr Otorhinolaryngol. 2013;77(9):1609-12.
  3. Kotani H, Miyao M, Manabe S, Ishida T, Kawai C, Abiru H, Tamaki K.
    Relationship of red splenic arteriolar hyaline with rapid death: a clinicopathological study of 82 autopsy cases.
    Diagn Pathol. 2012;7:182.
  4. Kotani H, Ishida T, Miyao M, Manabe S, Kawai C, Abiru H, Omae T, Osamura T, Tamaki K.
    Ectopic cervical thymus: A clinicopathological study of consecutive, unselected infant autopsies.
    Int J Pediatr Otorhinolaryngol. 2014;78(11):1917-22.
  5. Kawai C, Kotani H, Miyao M, Ishida T, Jemail L, Abiru H, Tamaki K.
    Circulating extracellular histones are clinically relevant mediators of multiple organ injury.
    Am J Pathol. 2016;186(4):829-43.
  6. Ishida T, Kotani H, Miyao M, Kawai C, Jemail L, Abiru H, Tamaki K.
    Renal impairment with sublethal tubular cell injury in a chronic liver disease mouse model.
    PLoS ONE. 2016;11(1): e0146871.

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急性心筋梗塞の発症予防に資する治療法の開発

法医解剖例の多くは急性心筋梗塞をはじめとする予防可能な死です。そこで私たちはさまざまな疾患の早期病態に注目することで予防医学の発展に貢献するよう研究を行っています1) 2)。
急性心筋梗塞による死亡で最も危険性が高いのが「過去に心臓や血管の病気を起こしたこと」です。つまり、病気が起きてから治療をすることも大事ですが、もっと重要なことは病気にならないように予防することだと考えます。予防には原因を取り除くことが必要です。急性心筋梗塞を起こす原因のほとんどが肥満、高血圧、糖尿病、脂質異常症などの生活習慣病に関わるものです。予防や治療が遅れてしまうことで、多くの人が生活習慣病に罹ってしまいます。その理由には以下の3つが考えられます。1つ目は、症状がないか、あっても弱いことです。2つ目は、罹っている人が多いため軽視されやすいことです。3つ目は、個々の生活習慣病の危険度が低く個人差も大きいため実感に乏しいことです。しかし、複数の生活習慣病に罹ることや、個々の疾患が時間をかけて進行してしまうと、急性心筋梗塞発症や生活の質の低下、さらには死の危険性が相乗的に増加することが知られています。まずは個々の生活習慣病の発症メカニズムの解明が大切です。
その中でも私たちは病態の理解が進んでいない肝臓病(非アルコール性脂肪性肝疾患:NAFLD)に注目しています。日本人の3人に1人がNAFLDに罹っており、早期病変である単純性脂肪肝(NAFL)は虚血性心疾患の危険性を約1.3倍上昇させ,脂肪性肝炎(NASH)に進行すると約3倍、肝硬変になると約5倍にまで上昇させてしまいます。現在のところ、NAFLDに対する予防・治療法は確立していません。当教室では、この生活習慣病を克服するために、より早期の病態に目を向け、動物実験で予防に繋がるバイオマーカーの検索、病期に合わせた治療法の開発を目指し研究を進めています2)。
このように当教室は疾患の発症や死を予防する方法の開発を目指しています。

図5

走査型電子顕微鏡による3次元肝臓組織写真

  1. Miyao M, Ozeki M, Abiru H, Manabe S, Kotani H, Tsuruyama T, Tamaki K.
    Bile canalicular abnormalities in the early phase of a mouse model of sclerosing cholangitis.
    Dig Liver Dis. 2013;45(3):216-25.
  2. Miyao M, Kotani H, Ishida T, Kawai C, Manabe S, Abiru H, Tamaki K.
    Pivotal role of liver sinusoidal endothelial cells in NAFLD/NASH progression.
    Lab Invest. 2015;95(10):1130-44.

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